もし好きな人と恋人になったら、その人とxxxxできないとしたら
表題の通りだ。
最近、ずっと気になっている。
「もし好きな人と恋人になったら、その人とxxxxできないとしたら?」
みんなは、どっちを選ぶんだろう。
前の記事(↓)でも書いた通り、私にとって愛と性は完全に別物だ。
いやまあ、完全に別物ではないんだけど、感情としてはだいぶ非なるものだ。
でも、世間一般では、その二つは繋がっているらしい。
それって、どっちに力点が置かれているんだろう。
そして、私のことを好きな人たちは、どっちを欲するんだろう。
「そういうこと」の最中に、愛を囁かれるのがとても苦手だ。苦手だし、応えられない。嬉しくもない。囁かれた途端に、冷静になってしまう。愛と性欲が混在している様子が、どうにも耐えられない。
だが、恋人になるということは、多くの場合、「愛あるxxxxを受け入れなくては悲しまれる」ということだ。
綺麗ごとで「xxxxのために一緒にいるわけじゃない」なんて言う人も、やっぱり「愛あるxxxx」を拒絶されたら悲しい顔になる。それはきっと、彼らにとって、「愛あるxxxx」は「性欲」とは別物だと思っているからだと思う。
でも、私にとっては違う。「愛あるxxxx」は、どうしても性欲にしか見えない。しかも純粋な性欲ではないところが嫌だとまで思ってしまう。いっそ性欲のみを向けてくれるほうがよほど嬉しい。頼むから「そういうこと」の最中に愛を向けないで欲しい。
でも普通の人は、恋人を、xxxxの最中に愛したいらしい。
「もし好きな人と恋人になったら、その人とxxxxできないとしたら」
だから、私にとって、この質問はそう遠い話でもない。
私の人生で、
「誰かと恋人になる=xxxxできない」
という図式は、割としっかり、しかも頻繁に成立している。
あなたはどっちを選びますか。
そして私は、どっちを選んだらいいですか。