私、女で男で人間です:Xジェンダーということに関して

唐突に、自分の性自認について書いてみよう!と思い立ったので、書きます。

 

私は自分の性自認が定まらない人間です。こういうのをXジェンダーというらしい。自分の性自認が、男・女っていう形で分けられないジェンダー

ちなみに、トランスジェンダーは生物学的な性別が性自認と異なっている状態なのに対して、Xはそもそも「男」「女」の枠にはまらないので、ちょっと違う。

 

このサイトによると、Xジェンダーの中にもいろんな状態があるらしい(中性とか無性とか両性とか)なんですけど、私はその中でも「不定性」という、要は定まってませんよ〜という性自認だなと思います。

なんで定まってないんだろう?どう感じてるんだろう?って結構疑問に思っていたんだけど、この前ふと分析してみたら結構面白かった。

 

まずそもそも、私には「自分がどちらの性であるかという認識」と「どちらかの性に嫌悪感を抱いているかどうか」という2要素がバラバラに存在しているっぽいんですね。それで余計にわけがわからなくなっていたみたい。

 

そのうち、

①自分がどちらの性であるかという認識

には、

・男性:まじで男だと思っている。スカートはなんとなく遠い世界のものに見える。自然と上から下までだいたい男物になるし、強く意識しないとブラをつけ忘れる。仕草や喋り方も男っぽくなるし、なんならナチュラルに生えてると思っているので、あるべきものがないことに違和感がある。

・女性:まじで女だと思っている。普通に世間一般の女子みたいな生活をするし、可愛らしい格好をする。性自認が男性の時に比べて声が高くなり、動きにくねくね感が増える。

・無性:あんまり性別の意識がないので、気が向いた服を着るし、気が向いた振る舞いをする。それは性別がどうこうじゃなくて、なんというか、気が向いたから

の3パターンがあって、

 

②どちらかの性に嫌悪感を抱いているかどうか

には、

・男性性無理:男性性というものを意識したくない。こういうときに誰かが自分の〇〇〇〇の話をしていると逃げ出す(のは嘘で、流石に慣れっこなのでスルーしてる)。

・女性性無理:女性性というものを(略)。自分の女性性が無理すぎて吐きそうになり、胸を切り落とすべきか本気で思案する。トイレにも行きたくない。

・どっちも無理:子供はコウノトリが連れてくるんだ!!!(純粋な目)

・どっちもOK:男性性も女性性も素敵です。万物に愛を捧げたい

の4パターンがある。

ちなみにここでいう「性」はGenderではなくてSexの方なので、Gender自体への嫌悪感があるわけではない。要は性器とか胸とかが気持ち悪いという話。

 

つまり、①が3通りで②が4通り……

 

……単純計算で12通り、性自認に対する状態が存在することになる。

 

そりゃ幼少期は説明できんわ。人生頑張ったな私。

 

それぞれを詳しく書くと、

・自分を男性だと思っているし生えていると思っているけど生えていてほしくなくて絶叫する時期(男性×男性性無理期、どっちも無理期)

・自分を男性だと思っていて「は???胸あるんだが???」とビビっている時期(男性×女性性無理期)

・自分を男性だと思っているけど胸があることにはなんにも思っていない時期(男性×どっちもOK期)

・自分を女性だと思っていて、男性性を嫌悪し箱入り娘みたいになっている時期(女性×男性性無理期)

・自分を女性だと思っているけど身体は嫌悪している時期(女性×女性性無理期、性そのもの無理期)

・自分を女性だと思っていて性的な話も全然おっけーな時期(女性×どっちもOK期)

・自分に性別はなく他人の性別も意識したくない時期(無性×なにかしらが無理期)

・自分に性別はないが性別というものは愛しいと思っている時期(無性×どっちもOK期)

って感じで、なんかやたらといろいろあるんですよ。

はあ。疲れたよね、ここまで読むの。

(ちなみに単純化して書いたけど微妙にこの間の転換期もあるし、軽度の躁うつ病も患っているし、ADHDASDも患っているので、多分掛け算するととんでもないことになる)

 

そんな感じで、全く一様にはまらない性自認なので、だいたい相手がどう対応していいかわからなくなりがちらしい。特に恋人は。

愛あるxxxxが苦手なのも(以下参照↓)、多分それもある。

rie0906.hateblo.jp

まぁ、性無理期に突入されたら愛囁いたところでどうにもできないしね。

 

あと、やっぱり同性のつながりというものが希薄な気がする。同性に仲間意識を持つ気持ちが、私には全くわからない。性自認がこれだけコロコロ変わっていれば当たり前かもしれない。ちょっと寂しい。

 

でも、なんやかんや言ってもぜーんぶ私なので安心してください!!!

私は私!

12通りも私が楽しめるそこの貴方、おめでとう!!!

 

……これが書きたかった笑。以上!

ハッピーエンド恐怖症

ハッピーエンドが怖い。

 

正しく言うと、自分に似た境遇の人がハッピーエンドになっていくのを見るのが怖い。どうしようもなく怖い。ドラマやアニメをあまり見ない理由はほぼそれだ。

いや、だからといってバッドエンドが好きなわけでは決してない。なんなら書いている小説はほぼ全部ハッピーエンドだし。バッドエンドは見たくないし、見たらしばらく悪夢を見て病んでしまう。

 

でも、ハッピーエンドが怖い。

ハッピーエンドを見ると、前向きにならなきゃいけないという感覚に襲われる。ハッピーエンドに向かって頑張れない自分が否定されてしまうのが、怖い。自分は生きていてはいけない存在なんだ、みたいな、強い否定感を感じる。

自分に境遇が似ているならなおさらだ。散々共感させておいて(しかも共感するように作っておいて)突然裏切るなんて、とてつもなく残酷だなあ、と思う。いやまぁ、私が書いている小説だってまさにそうなんですけど(ただ私が書いている小説は読み返すと外的圧力によってハッピーエンドに導かれるものがそれなりに多いので、もしかしたら自分から変わらなくてはいけないという圧力が怖いのかもしれない)。

さらに言えば、そもそも変化することが怖い。私はどうせこのまま、と思っているのだろう。

 

どうせこのままなのに、変わらなきゃいけなくて、変わったところで良い未来なんてまるで見えないのに、ハッピーエンドに向けて自分が努力しなきゃいけなくて、このままでいることが決して認められない。みたいな、そんな気がして。

 

いや、わかっている。

幸せな未来に向けて頑張っている人はえらいし、素敵だ。

ハッピーエンドは別に私を攻撃するために作られていないし、これは私の自他の境界がしっかりしていないからこその問題で、作者に罪は全くない。作者としてハッピーエンドを書きたい気持ちだって十二分にわかる。自分が生み出すキャラが幸せになってくれるのはいいことだ。私の狭量さが問題なのだ。

 

わかってはいるのだけれど、でも、どうしても怖い。

 

 

これ以上、否定されたくない。もう少し、もう少しでいいから、このままでいさせてほしい。ハッピーエンドを迎えなくてもいいから、この世界で生きていてもいいという許可がほしい。ただそれだけだ。

 

頑張らない私のことを、どうか許してください。

もし好きな人と恋人になったら、その人とxxxxできないとしたら

表題の通りだ。

 

最近、ずっと気になっている。

「もし好きな人と恋人になったら、その人とxxxxできないとしたら?」

みんなは、どっちを選ぶんだろう。

 

前の記事(↓)でも書いた通り、私にとって愛と性は完全に別物だ。

rie0906.hateblo.jp

いやまあ、完全に別物ではないんだけど、感情としてはだいぶ非なるものだ。

 

でも、世間一般では、その二つは繋がっているらしい。

それって、どっちに力点が置かれているんだろう。

そして、私のことを好きな人たちは、どっちを欲するんだろう。

 

 

 

「そういうこと」の最中に、愛を囁かれるのがとても苦手だ。苦手だし、応えられない。嬉しくもない。囁かれた途端に、冷静になってしまう。愛と性欲が混在している様子が、どうにも耐えられない。

 

だが、恋人になるということは、多くの場合、「愛あるxxxxを受け入れなくては悲しまれる」ということだ。

 

 

 綺麗ごとで「xxxxのために一緒にいるわけじゃない」なんて言う人も、やっぱり「愛あるxxxx」を拒絶されたら悲しい顔になる。それはきっと、彼らにとって、「愛あるxxxx」は「性欲」とは別物だと思っているからだと思う。

でも、私にとっては違う。「愛あるxxxx」は、どうしても性欲にしか見えない。しかも純粋な性欲ではないところが嫌だとまで思ってしまう。いっそ性欲のみを向けてくれるほうがよほど嬉しい。頼むから「そういうこと」の最中に愛を向けないで欲しい。 

 

でも普通の人は、恋人を、xxxxの最中に愛したいらしい。

 

 

 

「もし好きな人と恋人になったら、その人とxxxxできないとしたら」

 

だから、私にとって、この質問はそう遠い話でもない。

 

私の人生で、

「誰かと恋人になる=xxxxできない」

という図式は、割としっかり、しかも頻繁に成立している。

 

 

 

あなたはどっちを選びますか。

そして私は、どっちを選んだらいいですか。

わたしのだいすきなひとたちへ

私の愛は、大砲みたいらしい。

 

 

 

そう言ったのは、私が愛してやまない友人だ。

えっ私の愛してる人が私の愛を認識してましてやブログに書いてしかも肯定的な評価を下してくれているとかどういうことですかなんですかこの世界は天国ですか!?!?!?!?!?!?!?!?みたいな感じでかれこれ2時間くらい悶えているんですが多分こういうところが大砲みたいなんだろうなーーーーーーって感じですね、まあそれはさておいて。

彼女の文章を読んで、なんとなく自分も書きたくなった、というより書かずには眠れなくなったので、自分の恋愛観についてちょっと書いてみようかと思う。

 

 

 

前提として、私はXジェンダーかつバイセクシャルかつポリアモリーである。属性盛り盛り。

 

なんでそうなるかっていうと、「人を『人』として認識している」からだと思う。

 

自分は自分。女でも男でもなく自分。だから自分を性別で分けることができない(というより日によって性自認が変わる)。

好きな人は好きな人。女でも男でもなく好きな人。だから男女問わず好きなものは好き。

好きな人は好きな人(2回目)。「この人が好きだから他の人は好きじゃない」とはならない。だからみんな好き。

 

そしてわたしの愛はわりと永続なんですよ。

みんなの本気の愛が100だとしたら、私は80愛している人が人生の累計で50人くらいいるイメージ。そしてこれからまだまだ増える。もちろん自分のキャパは有限なのでそのまま80を傾けられるわけではないのだけど、幸せになってほしいなって気持ちは常にそれくらい。大事な人全員が最高に幸せな人生を送ってほしい。そして私の愛がそれの支えになったらこれほど嬉しいことはない。

これ人に言ったら「推しを推すオタクじゃん」って言われた。間違いない。

 

 

 

 

愛のきっかけは、だいたい「美しい日本語」か「声」です。

だいたい、この人の日本語いいな~~~って思うところから始まる。そしてだんだんその人のことを深く知り、価値観とかをたくさん知って、沼る(愛している人に使う表現ではなさそう)。稀に好きな声だからって秒速で落ちることもあるけど……………

 

要するに、その人の「世界の見え方」が好きなので、ぜんっっっっぜん嫌いになれないんですよ。付き合ってた人のことを、付き合うほど好きではいられないって思ったとしても、愛がないわけではないんです。私の知らないところで幸せになっていてほしいな、って思う。

喧嘩して性格嫌いになったとしても日本語好きだから好きみたいなことも普通にある。

 

そして例の友人も例に漏れず美しい日本語から沼ったので、当面抜けられなさそうな予感。

 

 

 

でも、こんな感じなので、とにかく恋愛には苦労する。

 

一応大事にしてるつもりなんですよ。恋人ができたら。浮気も別にしないし。

 

でも、だめなんです。

「なんで嫉妬してくれないの?」ってよく言われる。

いやそりゃするよ嫉妬くらい。でも束縛する&されるよりも、自分が自由に他の人も好きでいられる方が楽、というか、縛ったら縛った分だけ縛られる気がして、縛れない。

もちろん恋人関係なわけだから、向こうから縛られたら同じだけ縛るし、それは覚悟の上で付き合ってるから浮気もしないけど、こっちから積極的に縛ることができない。向こうが本気で考えた上で「浮気したい」って言ってきたなら、そっかそうしたいならいいよ、でもその代わり私もするね、ってなる。

これは当て付けじゃなくて本気で思ってる。だって私がその人の全部を満たせるわけがない。他の友達と遊びたいのと同じように、他の子とデートしたりセックスしたりしたくてもおかしくはない。私じゃ足りないのであれば、そして私に同じことをされる覚悟があるのであれば、それを止める権利は私にはないし、止めるよう説得するつもりもない。

 

じゃあなんで付き合うのか?って言われたら、その人が私を関係性で縛ることがその人の幸せに繋がるならそれでもいいかな、って思うからです。もちろんそれくらい幸せにしてあげたい人は流石に限られているので、誰でもいいわけじゃないんだけど。

 

 

 

あと、愛と性が結びつかない。ほんとに。まじで。

 

性は性じゃん。愛じゃないじゃん。

お前は布団に「愛してるよ」っていうのか?白米に「永遠に守るよ」って誓うんか???って思っちゃうんですよ。あれ待って。お布団にも白米にも言ってるかも。あれ?????

 

なんていうか、したい、って思うのと、愛してる、ってのは全然別で、もちろん両方を向けている人もいるんだけど、たとえ同じ人に向いていてもそこは自分の中で分けたい、みたいな。別にしなくても大好きな人のことはずっと愛してるし、逆に言えばしてる最中に「愛されてて嬉しい……」とかぜんっぜん思わない。普段の行動の方がよっぽど愛感じて嬉しくなる。

その辺がよく恋人とすれ違ってこれまたダメなのね。

 

 

 

まあそんなこんなで、恋人できると結構悩むんですよね。というか正直、めちゃくちゃコンプレックスなんですよ。自分が相手のことを幸せにできないことが本当につらい。

 

けど彼女のブログを読む限り、それでいいっぽい。わかんないけど。

 

私は彼女のことがすごく好きで好きで、だからただただ愛を表明していた。別に恋人関係になるとか全然考えてなかった(ちなみに前に「私が告ったら私と付き合うってこと?」って聞かれた時は秒速で「うん」って答えた)。多分この先も考えることなく愛を表明し続けると思う。

 

いいんだよ、なんも返ってこなくても。

だって存在が好きなんやもん、幸せに生きてくれていたらそれで嬉しい。

私が何も考えてなくて、恋人としてじゃなくて人として好きだからこそ、私からの愛に対価は必要ない。向こうが同じ気持ちだろうがそうじゃなかろうがなんかしてくれようがしてくれなかろうが好きなもんは好き。というか幸せになってほしいので無理して私を好きにならんでいい。もちろん好きになってくれて私を必要としてくれるなら、できる範囲のことはする。これは彼女に対してもそうだけど、私が愛している人たちみんなに対して常々思っていることだ。

 

まあそのスタンスがいろんな人を傷つけてきたわけなんですけど。

 

でもそれに安心感を感じてくれるなら、こんなに幸せなことはないですね。

 

 

 

 

以上!

やっと溢れてきたものが整理できた!!!寝れるぞ!!!!!

「勉強の効率化」とは何か、ということに対する私の答え。もしくは、1日3時間で東大に受かった秘訣みたいなもの。

知人に「勉強ってどうやったら効率よくできるのか」ってことを聞かれて、自分なりに出した答えをざっくりまとめてみた。

ら、思ったよりちゃんとしたメソッドを自分が持っている気がしたので、結構改変してブログにしてみました。

 

 

[追記]あ、ツイッター外から読みに来てくれた人向けに自分を権威づけすると、私は

高3夏に文転したけどすぐに体壊して不登校になって、その間1日3時間だけ勉強してたら東大文3に現役合格した人

です(イキリ)。

 

こうして見ると鼻持ちならないことこの上ない!!!

でもそのぶん効率良さの追求の仕方はえげつなかった自信があるし、今でも体弱いから作業効率は常に考えてるので、その成果物でも見るつもりで見てくれれば嬉しいです。

 

 

1. 効率の良い勉強とは何か?

結論から言うと、コスパのいい勉強、のことだと思う。

 

いやそりゃそうだろ。なんでわざわざ言った?

 

って思うかもしれないんだけど、多分、これが「ちゃんと定義通り」わかってるかわかってないかで結構違うと思うのよね。


コスパがいい」ってどういうことか。

要は「かけるコスト」に対して「得られる利益」が大きい状態を目指せばいいんだけど、

ここで「節約したいコスト」と「得たい利益」はちゃんと考えるべきだよね、という話。


節約したいのは「時間」?「体力」?「モチベ」?

得たいのは「偏差値」?「安定して得点できる力」?

 

その辺の組み合わせでやるべきことってガラッと変わるから、バカバカしくても、一度書き出してみることをおすすめします。

 

 

 

2. どうやったら効率をあげられるのか?

いろいろ試行錯誤してみたけど、考えた方がいい観点って結構いっぱいあるなあ……って気持ち。まあ詳しくは個別の項目で説明するので、ガンガン挙げていきます。


2-1. 自分の得意な五感はどれか?

超ざっくりした例。

 

授業聞くより参考書読んでる方が勉強できた人いない?

逆に参考書全く読み進められなかった人いない?

 

そんな感じで、インプット/アウトプットが得意な五感って、人によって全然違うんですよね。多分。

 

ちなみに私は

・インプットは目が得意(カタカナ語のみ耳)

・アウトプットは手が得意

だったので、参考書を一読(目をつかったインプット)→まとめ直すor問題集をとく(手をつかったアウトプット)、という形が最も効率がよかった。

 

でも例えば、

・インプットは耳が得意

・アウトプットは口が得意

なら、授業動画などで勉強したり、参考書付属のCDなどを使う→問題集を見ながら口頭で答える、とか。

 

・インプットは手が得意

・アウトプットは目が得意

なら、最初は写経のように参考書を書き写して、あとから赤シートでテストしながら勉強するとか。

 

やるべきことが相当変わってくるから、早めに自分の得手不得手を見つけるといいかも。

ちなみにこれは教科によっても結構変わります。頑張れ。


2-2. 自分が勉強しやすい環境は何か?

せっかく勉強をするのであれば、集中力を高めたい=なるべく勉強以外のことは考えないようにしたい。

だから、集中力を高める方法は、超ざっくり言うと「勉強以外に頭に入ってしまうものを減らす」ことになると思う。

 

いやなんでわざわざ言った?

 

でもこれもやっぱり、「定義通りわかってるか」って結構大きいと思うんですよ。

 

例えば、騒音が気になってしまうなら極力減らす。逆に静かな環境の方が気になるなら、気にならない程度の雑音を流せる環境を探す(居間で勉強する、ノイズを流すなど)。ほら、結局「気になる要因を取り除く」だけでしょ。

 

意外と部屋の温度や湿度、着る服、空腹感の度合いなども影響してきたりするので、調整できる範囲で調整すると良いです。

私は感覚過敏持ちADHDなので、この辺がくそ大事。

ちなみに友人は部屋片付いてると雑音が少なくて勉強進むって言ってました。いやわかるそうだよね。……反省しかねえ。

 

一回、勉強しながら「勉強以外にアレが気になったな」というのをどんどん書き出すといいよ。それを取り除いたり調整したりすると、かなり集中できる環境ができるはず。最近集中力なさすぎるなーと思って書き出してみたら「空気が悪い」って気がついて、まさかと思って部屋の窓開けたら途端に勉強できるようになったとか、そういうの本当に起こるから。騙されたと思ってやってみてほしい。

 


2-3. 自分に適した勉強時間はどれくらいか?

これもまあ、環境整備っちゃあ環境整備なんだけども。

考えるべき点としては、

 

A.自分が連続何分までなら集中できるか
B.何分以内の休憩であればモチベが保ちやすいか
C.1日何時間までなら毎日続けられるか

 

の三つかな、という気がする。

 

私は丸一日を費やして、各項目で最大値と最小値を求めました。冷静に考えるとやばくて草。こういうとこイカ東。

でもギリギリを攻めると自分の限界がわかりやすいので、一度やってみるといいよ。

 

ちなみに私は、丸一日を使って実験してみた結果、


A.1セット45分(これを越えると途端にダメ)
B.10〜15分(これより少ないと気分がすっきりせず、これより多いとモチベが消え失せる)
C.3時間(これを越えると数日でキャパオーバーして体調を崩し、総勉強時間が減りました)

ということが判明した。

 

いや3時間て。虚弱か。

でもこれわかったおかげで早めに諦めがついたんでよかったです。


2-4. 自分のモチベーションの上がり方/下がり方の特徴は?

これでラスト。

自分のモチベーションがどう変動するのか、を早めに押さえるといいです。

 

好きな教科から始めたらいいのか、

簡単な問題を解くといいのか、

音楽を聴くとやる気が出るのか、

そういうのなしにすっと勉強に入れるのか、

どの辺で疲れてくるのか、

それは何かをすると回復するのか、

疲れていてもできる教科はどれか……

 

これがわかると、自分の調子に合わせて勉強内容をコントロールしやすくなります。

 

まあ、スポーツだってストレッチせずいきなりサッカー90分とかしたら(若くない限り)足攣るしね。そんなもん。

一応これも私の例をあげると、


①ウォーミングアップ:まず国語か社会の参考書やノートをパラパラ読む(15分くらい)
②ランニング:そのまま好きな教科の勉強に入る(15〜30分くらい)
③練習:やらなきゃいけないことに手をつける(休憩はさみつつ1時間半くらい)
④ゲーム:数学の問題を解く(30分〜45分くらい)
⑤クールダウン:今日やったノートをぱらぱらする(15分くらい)


みたいな感じで、いい感じにモチベ保てるように頑張ってた。

 

 

 

以上。

 

万人が使えるメソッドだと思うというか、要は世の中の「効率の良い勉強法」ってこれのそれぞれを具体化したやつでしょ、って思ってる。

そりゃあ個別具体的なこと書いてるんだから、合う合わないあるよね。

 

だからこの観点を意識しながら、いろんな本とかWebサイトとか試行錯誤すると、自分に合うやつが見つけやすいのかな、って思います。

 

あと最後に忘れないでほしいのが、「自分は常に変わる」っていうこと。あるとき自分にフィットしてた勉強法が、今もフィットするとは限らない。

極論、私なんか夏か冬かでも結構変わるし、なんなら晴れてるか雨降ってるかでもかなり変わる(感覚過敏〜〜〜)。

 

ので、自分が違和感感じたらすぐ変えるくらいの気持ちでやってみてほしいです。

違和感超大事よ。

今の自分のことは今の自分しかわかんないので。

 

 

久々の長文記事でした。ここまで読んでくれてありがとう!参考になったら嬉しい!

新型コロナウイルス対策に、手紙を書きませんか。

新型コロナウイルス対策に、手紙を書きませんか、という話。

 

 

 

昨今の新型コロナウイルスのあれそれを見て、自分自身も外出を自粛して思ったこと。

 

寂しいんですね。圧倒的に。

 

人と会話したい。毎日誰かと会う予定が詰まっていて「疲れたよ〜」って言っていた頃に戻りたい。やばい。寂しい。家で一人でいるのほんとつらい。不安になるし。まじで。ツイッターあってよかったわ。フォロワー心の友すぎる。

 

それでふと思ったんですけど、多分それ、多くの人がそうなんじゃないのかなって。

 

外出できないなら実家帰ろーって思う人がいるの、そういうことでしょ。

 

このご時世にジム通ってるおじいさんおばあさんとか話題になってたけど、それもまあそういうことでしょ。寂しいもんな。わかるよ。

 

私たちはツイッターを介して人と会話できるけど、多分私のおじいちゃんとおばあちゃんはできない。
メールも時間かけてゆっくりゆっくり打ってる。
耳も遠いから電話も大変そうだし。
実家帰ろうにも、感染源だったら嫌だし。

 

 

 

…………じゃあ手紙書かね?????

 

 

 

ってなったので、家にあるレターセット掘り起こして書いてみてる。

 

みんなもたくさん出してあげて欲しいな。
いま、多分ほんとに不安で不安でしょうがないと思うんだよね。寂しいだろうし。ちょっとでも寂しい気持ちが解消されたら、家にいても居心地悪くないんじゃないかな。

 

世のおじいさんおばあさんたちよりおそらくちょっとコロナに詳しくて、ちょっと気持ちにも余裕がある私たちから、できることをしてあげませんか。

 

少しでも皆さんの寂しい気持ちが解消されてくれますように。

 

 

 

あとこれ私じゃ拡散力弱いから手紙作ってる会社とかに届いて欲しい!!!!!!!!!!

そしていい感じにプロモーションして欲しい!!!!!!!!!

個人的にはすごくいい案だと思うんですけどダメですかね!?!?!?

【アカペラ始めました】初めて「ハモる」ということがわかった話。

親のおかげで、小さい頃からずっと音楽に親しんでいた。
3歳から、ピアノとエレクトーンを。中学校でやめてしまったが、その後エレキギターをやってみたりなんかもした。母が合唱を結構本気でやっていた人なので、歌にも親しんでいた。
私は練習をサボりまくったので、いずれも大成はしていないけれど、なかなか音楽とともに生きている21年間だと思う。

そんな感じだったから、楽器で和音を鳴らすことには慣れていた。先生が弾いたピアノの音は綺麗だなと思っていたし、発表会で他人の演奏を聴くのも好きだった。
「ああ、これが和音か」と思っていた。ずっと。

それが覆ったのがつい最近だった。
20歳の春、私はアカペラを始めた。歌をもっと頑張りたいからなんとなく、という理由で。

そこで聞いた一つの歌に、私は膝から崩れ落ちた。

動けなかった。天から舞い降りたのかと思った。比喩ではなく本当に。
音がかっちりと「はまって」いた。
今まで聞いていた和音はなんだったんだろうと思うくらい、一寸のズレもなく。

世界が崩れていく。
私の聞いていた「和音」は、いつもどこかにズレがあったらしい。平均律純正律の話を人から聞いた時(超ざっくり言うと、ピアノの音は完全にハモる音よりもちょっと三度が高めらしいです。気になる人は調べてみてください)、私は妙に納得して、それとともに突然の恐怖に襲われた。

きっとこれから先、どこまでも私の耳は声によって奏でられる和音を求めてしまう。小さい頃からピアノにハマりきれなかった理由を「平均律に対する違和感」と形容できてしまえば、もう昔の耳には戻れない。
あれだけ好きな音色だったのに。
全ての楽器の中で、一番好きな音だったのに。
怖い。
怖いけれど、すでに取り返しがつかないくらい声にのめり込んでいる自分がいるのだ。

まだ何が起きているのかわからないけれど、
誰かと歌っている最中に、一瞬空気を切り裂いたかのように雑音が搔き消える瞬間とか、
和音を鳴らす練習の時に、一度五度に導かれるように三度が自然に唇から漏れ出る瞬間とか、
なんかそういう、ピースがはまっていくような快感を、どうしても求めてしまう。

今はとりあえず求めるがままに歌っているけれど、どこに着地するんだろうな、私は。

 

ちなみにこれを書いている間に初めて自分が抱いている感情が「怖い」であったことに気がつきました。